東京・神田錦町は、金融や食品、薬品などの企業の本店・本社が集まるビジネス街です。また、皇居平川門が近くにあり、江戸時代には武家屋敷が並ぶ高級住宅街でもありました。

一方で周囲には、出版社や新聞社といった歴史あるメディアや大学も集まっています。神保町の古書街にも歩いて行ける距離にあり、ビジネス街でありながら歴史や教育、カルチャーが交差する個性的なエリアといえます。

2015年に神田錦町に開業した「テラススクエア」は、緑あふれる広場と流行をおさえた飲食店があるビジネスタワーで、時代とともに変わり続ける街・神田錦町を象徴する場所でもあります。

この1階にある「cadet」(カデ)は、20年以上のキャリアをもつ松城泰三さんがシェフを務めるフレンチレストランです。昼は周辺の会社勤めの人たちを中心ににぎわう一方で、夜は選りすぐりのワインを求めて、街の外からわざわざ来店するゲストも多い人気店でもあります。

長年にわたり培ってきた生産者とのネットワークを活かした国産食材を使う松城さんですが、牛肉は、オーストラリア産牛肉を愛用。ランチのメニュー表にも国産食材に混じって「オーストラリア産」と力強く表記している松城さん。オーストラリア産牛肉を使い続ける理由を聞きました。

歴史と文化が交錯する神田錦町、本質を求めるゲスト

松城さんは、大阪や東京で店舗を展開する外食企業「バルニバービ」で関東店舗の料理部門を統括する責任者として、数々の飲食店を立ち上げてきました。土地に根差した店づくりで多くの店舗を人気店に育てあげてきた松城さんですが、神田錦町は「今までの出店で、どこよりも難しいエリアでした」と打ち明けます。

松城泰三さん(以下、松城)「前職で、2015年のテラススクエア開業と同時にビルの2階に『GARB pintino』(ガーブ・ピンティーノ)をオープンさせました。ビジネス街の出店は大手町(東京)などで経験していたのですが、神田錦町はそれとは違って独特。お客様に認めていただくのに時間がかかるんです」

飲食店の成功は‟十場所十色”。ひとつ成功したからといって、同じ方法が別の場所でも通用するとは限りません。その場所で生活をする人にあった店舗づくりをすることが必要です。神田錦町は、住む人が少ないものの、町内や周辺エリアにある会社や個店の性質もあって、流行りモノやブームに流されず自分たちの審美眼を大事にする人が多いと松城さんはいいます。

松城 「開店当初は、通ってくださるお客様ができず苦労しました。それが2年くらい続いたところで、少しずつお客様がリピートしてくださるようになるんです。まわりのお店の様子を見ても同じようで、新規開店してすぐに繁盛するお店はほとんどない。その分、何度かいらしていただいて認められるとすごく贔屓にしてくださる。そういうエリアなのだと思います」

認めるまで時間がかかるものの、受け入れると根強く愛してくれる。そんなゲストに支えられ、2019年8月には、バルニバービを円満退職して独立すると、GARB pintinoをオーナーとして引き継ぎます。そして2021年2月にはテラススクエアの1階に「末っ子」の意味をもつ、客席26席のcadetをオープンさせました。

松城 「今まで働いてきたのは80席以上のお店がほとんど。チームで料理を作って多くのお客様に届けることをしてきました。チーム内で切磋琢磨することでスタッフも成長していく。そういった喜びもある一方で、自分がイメージする料理を100%そのまま出せない辛さもありました。おかげさまでGARB pintinoも軌道に乗ってスタッフも育ってきました。それならGARB pintinoをみんなに任せて、小さい店で自分がイチから作った料理を出してみたいと思うようになったんです」

東京メトロ・都営地下鉄の神保町駅から徒歩5分ほど。東京メトロの竹橋駅からも7分ほどの位置にあるテラススクエアの1階、神田警察署通りに面してcadetはある。
東京メトロ・都営地下鉄の神保町駅から徒歩5分ほど。東京メトロの竹橋駅からも7分ほどの位置にあるテラススクエアの1階、神田警察署通りに面してcadetはある。
cadetのオーナーシェフ、松城さん。バルニバービで東京店舗を統括する料理長を務めるかたわら、ヨーロッパに頻繁に渡り、各国の料理を食べ歩いて学んできた。2021年10月にはフランスに渡り、パリのレストランや、ブルゴーニュ地方のワイン産地をまわり、知見を深めてきた。
cadetのオーナーシェフ、松城さん。バルニバービで東京店舗を統括する料理長を務めるかたわら、ヨーロッパに頻繁に渡り、各国の料理を食べ歩いて学んできた。2021年10月にはフランスに渡り、パリのレストランや、ブルゴーニュ地方のワイン産地をまわり、知見を深めてきた。

ワインに合わせるならオーストラリア産の牛肉がいい

コロナ禍でのオープンだったcadetは、営業制限などもあり厳しい日々も続きましたが、2022年11月頃からはランチ・ディナーともに常連客の予約も増えてきているといいます。

松城 「もともと神田錦町で認められるのには2年かかりますから(笑)。それよりも、この街で5年以上店をやってきた経験を活かして、コロコロとメニューを変えるのではなく、定番を作り続けてクオリティを上げていく方が、リピートしてくださるお客様を生む近道だと信じて続けてきたのが良かったと思っています」

cadetのランチでは、メイン料理が選べるプリフィックスメニューを採用しています。国産の鶏や豚、魚のロティ(オーブン焼き)のほか、オマール海老のバターカレーライスとともに「オーストラリア産牛ロースのロティ」がメニューのひとつになっています。

輸入食材は、価格の変動や仕入れの状況の変化に対応するためのほか、オーストラリア産に消費者が根強くもつ「安い肉」というイメージを懸念して記載しない例もあります。ある種のリスクを負ってでも、なぜ松城さんは、オーストラリア産であることを伝えようとするのでしょうか?

松城 「国産でなければいけないというわけではなく、むしろ国産や外国産というのをあまり気にしていないからだと思います。おいしくて良い食材、信頼できる食材を使うことを続けてきたら国産が多くなったというだけ。それに牛肉は、和牛も使っているので、オーストラリア産だけというわけでもありません。値段でいえば今使っているロースの部位の値段は、和牛とかわらない。使い続けているのは、お客様のニーズも大きくあると思っています」

フランスや日本のワインを揃えるcadetでは、ディナーはワインとともに松城さんのおまかせコースが楽しめます。松城さんは、常連客であれば好みに合わせて食材を選んでいきますが、ワイン好きなゲストであれば、サシの入った和牛よりも赤身主体のオーストラリア産牛肉が好まれることが多いといいます。

じっさいワイン好きが集まって開くワイン会では、主催者からオーストラリア産の牛肉をリクエストされることが多いこともあり、今ではcadetからプランを提案する段階から料理のメインにオーストラリア産牛肉を入れているほどです。

「オーストラリア産牛ロース ロティ」。ソースは、オーストラリア産牛の骨からとった出汁(フォン・ド・ヴォー)をベースに、バターやトマトペースト、隠し味に味噌を加えている。
「オーストラリア産牛ロース ロティ」。ソースは、オーストラリア産牛の骨からとった出汁(フォン・ド・ヴォー)をベースに、バターやトマトペースト、隠し味に味噌を加えている。
使用している部位は、ストリップロイン。 ステーキなどに使用される部位で、日本ではサーロインとも呼ばれる。松城さんは、まわりのカブリを取り除き、ロース芯だけを使っている。取り除いたカブリは、煮込み料理などにまわす。
使用している部位は、ストリップロイン。 ステーキなどに使用される部位で、日本ではサーロインとも呼ばれる。松城さんは、まわりのカブリを取り除き、ロース芯だけを使っている。取り除いたカブリは、煮込み料理などにまわす。
「オーストラリア産」と、しっかりと書き込まれたランチのメニューボード。プリフィックスコースには、前菜のサラダとパンがついている。「オーストラリア産牛ロース ロティ」は2,200円とリーズナブル。
「オーストラリア産」と、しっかりと書き込まれたランチのメニューボード。プリフィックスコースには、前菜のサラダとパンがついている。「オーストラリア産牛ロース ロティ」は2,200円とリーズナブル。

食材に対する安全意識を師に叩き込まれた

松城さんが、オーストラリア産牛肉に出会ったのは、19年前の2003年。すでに大阪を中心に店舗を展開していたバルニバービに入社し、料理人として歩み始めていた頃でした。この年、アメリカでBSEが発生しアメリカ産牛肉の輸入がストップします。それまでアメリカ産を使っていた松城さんの店でも、オーストラリア産に切り替わりました。

松城 「当時は、ロースト・ビーフ用でアメリカ産を使っていました。オーストラリア産に変わったことで、まだ駆け出しでしたが、塊が小さくなったのと、味が強くなったと感じたのを覚えています。食材についての安全意識はまだ低くて、むしろ当時の料理長に教えられて危機意識をもつようになりました」

料理長というのは、バルニバービ・グループ総料理長の大筆秀樹さん。大筆さんから料理の奥深さを学び、一生の仕事として料理人になろう決意した、松城さんが師と仰ぐ料理人で、料理の作り方はもちろんのこと、当たり前に安心・安全な食材を扱うことを植え付けられたといいます。

味わいや扱いの良さもあり、バルニバービ・グループではオーストラリア産牛肉を使い続け、松城さんが東京店舗の立ち上げを担当してからも変わらず使い続けてきました。

シェフの抜群の火入れ。「できるだけ塊で焼きたいんです。その方がおいしいですから」と松城さん。1人前130gでしっかりと食べ応えもある。
シェフの抜群の火入れ。「できるだけ塊で焼きたいんです。その方がおいしいですから」と松城さん。1人前130gでしっかりと食べ応えもある。
料理を突き詰めていきたいという姿勢が会話のなかからヒシヒシと伝わってくる。松城さんは、職人的な料理人といえるだろう。
料理を突き詰めていきたいという姿勢が会話のなかからヒシヒシと伝わってくる。松城さんは、職人的な料理人といえるだろう。
料理の付け合わせは、ジャガイモのピュレと赤キャベツとリンゴのシュークルート(塩漬け発酵キャベツ)、揚げた米ナス。ソースのほか、フォン・ブラン(鶏などからとった白い出汁)の泡、ニンニクオイルがかけられている。この組み合わせも変えることはないという。
料理の付け合わせは、ジャガイモのピュレと赤キャベツとリンゴのシュークルート(塩漬け発酵キャベツ)、揚げた米ナス。ソースのほか、フォン・ブラン(鶏などからとった白い出汁)の泡、ニンニクオイルがかけられている。この組み合わせも変えることはないという。

「変わらないもの」は日々の進化の末に生まれる

松城 「僕自身は、自分の料理を作りたいという気持ちが昔から強くあります。そんな性格ですのでいろいろと新しい食材に手を出すよりも同じ食材を深めていきたい。オーストラリア産牛肉もそうで、使い続けることで料理のクオリティをあげたいという思いが強いんです」

じつは、cadetのランチで出している「オーストラリア産牛ロースのロティ」は、松城さんにとって牛肉料理の集大成といえるもの。肉の火入れ(加熱)方法を段階的に行うことで、やわらかくしっとりとした肉質でありながら、しっかりと噛むことで牛肉のうま味が溢れてくる松城さんが理想とする牛肉の火入れになっています。これは、バルニバービ時代からオーストラリア産を使い続けてきた経験があったからこそ到達できたといいます。

松城 「オーストラリア産のなかでもロンググレインフェッド(長期穀物肥育)牛を使っています。きめ細かい脂と赤身のバランスが良くジューシーなので、和牛に慣れた日本人に合っていると思っています。じつはショートグレインフェッド(短期穀物肥育)牛でも同じ方法で火入れをしてみたのですが、僕の火入れだとややパサついてしまいます。いろいろ試したなかで、ロンググレインフェッドの方が自分の料理に合っていると思います」

保守的で本質的な料理が好まれる土地柄だからこそ、変わらない料理が好まれる――。しかし「変わらない」といっても、本当に何も変わっていないわけではありません。毎日、少しずつ進化を積み重ねていくことで、何度食べても新鮮な感動を生む料理になる。松城さんの話のなかに、「変わらないこと」の本質が見えてきます。

「老舗の多い場所で新参者として神田錦町にcadetを開きました。もしかしたらまわりの古くからやっていらっしゃる方々から煙たがられることもあるかもしれないのですが、お力をお借りしながら成長していきたいです」と松城さんは、cadetの未来をこう話します。

四人兄姉の末っ子である松城さん。「末っ子」(cadet)の店名の通り、料理に傾ける謙虚で熱心な姿勢が伝われば、さらに神田錦町に愛されて成長していくはずです。

「料理人としては20年以上ですが、経営者という意味では、イチから出店したcadetがスタート。1年も経っていない、赤ちゃんレベルだと思っています。自分ひとりで出店できたわけではありませんが、全責任を自分でとるのは今回が初めて。まずは、自分のいいと思うものをやろうと思っています」と松城さん。
「料理人としては20年以上ですが、経営者という意味では、イチから出店したcadetがスタート。1年も経っていない、赤ちゃんレベルだと思っています。自分ひとりで出店できたわけではありませんが、全責任を自分でとるのは今回が初めて。まずは、自分のいいと思うものをやろうと思っています」と松城さん。
今回の取材を通じて、オーストラリア産牛肉について改めて考える機会になったという松城さん。オーストラリアの牛の育て方や、現地のレストランカルチャーなどを知るためにも、できるだけ早く渡豪したいという。
今回の取材を通じて、オーストラリア産牛肉について改めて考える機会になったという松城さん。オーストラリアの牛の育て方や、現地のレストランカルチャーなどを知るためにも、できるだけ早く渡豪したいという。